読売新聞の企画「Color the News」では、モノクロ(白黒)で残された昔のニュース写真を、AIの力を借りてカラー化している。今回カラー化したのは1959年(昭和34年)の4月10日、当時の皇太子殿下と正田美智子さん(現在の上皇ご夫妻)ご成婚の日だ。
今回、AIが行ったカラーリングを補色して仕上げる際に、参照できるカラーの動画や写真は数多くあった。「世紀の祝典」だけに、読売新聞も本紙掲載用のモノクロとは別にグラビア用のカラー写真を数枚撮っていたし、映画館で上映するカラーニュース映画も制作していた。他の報道機関も同様で、特に日本テレビは短時間ながら、まだ実験段階にあったカラー放送も敢行している。
このため微妙な色合いで迷うことはなかったが、1枚目の写真はモノクロ原画自体の問題で苦労した。祝賀パレードの光景である。原画はプリント写真をスキャンした画像がデータベースに収められていた。
しかし印画紙に焼き付けた段階でややムラがあり、カラー化すると沿道を埋める人々のコントラストにもムラが出たため、これを調整しなければならなかった。さらに、儀装馬車のタイヤの黒光りを強調したかったのか、タイヤの外周に筆による白い線が書き込まれていた。当時、こうした手描きの大げさな写真修整は珍しいことではない。新聞の印刷があまり鮮明ではなかった時代には、それでちょうどよかったのだろう。だが、今見ると明らかに不自然なため、昔の修正を再修正する必要があった。
ただ、「原画の問題」で読売新聞の先輩たちを責めることはできない。この写真が掲載されたのは「第二夕刊」であった。祝賀パレードの時刻は通常の夕刊制作の締め切りを大きく過ぎているため、この日は夕刊を2回発行したのである。
第二夕刊は大変なスピード作業で制作されたはずだ。まずパレードのスタート直後、カメラのシャッターを切ってすぐにフィルムを取り出し、オートバイで本社に急送。暗室で現像し、印画紙に焼き付けて修正を入れ、感光素材の板に転写する。この写真製版と活字で紙面の原型を組み、マシュマロのような軟らかい厚紙を押しつけて型取りすると凹版ができる。そこに鉛を流し込んで凸版を作り、これを輪転機に装着して印刷開始――。
当時のアナログな新聞制作の過程をなぞってみたが、これだけの作業をおそらく30分から1時間の間で行ったはずだ。そうでないと第二夕刊を出す意味がない。だから、この第二夕刊に掲載された写真の焼き付けにムラがあり、筆修正が少々乱暴であっても、やむを得ないことである。
2枚目、3枚目は「結婚の儀」を終えられた皇太子殿下と美智子さま。
4枚目は東京・浅草の新仲見世通りを埋めるちょうちん行列の写真。この3枚は順調にカラーリングを進めることができた。モノクロ原画がしっかりしていたからだ。「結婚の儀」は第一夕刊の締め切りにきちんと間に合う時間に撮影された。ちょうちん行列の写真は翌日朝刊である。
現在の写真撮影や新聞制作はすべてデジタル化されているため、現場で撮った写真は瞬時に本社に送られ、印刷までほとんど時間を要しない。
1枚目のモノクロ原画をながめて、怒号が飛び交う編集局の光景を思い出すような世代の記者も、今はほとんどいなくなっている。
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