[東京 17日] - 5月訪英の際、岸田文雄首相は経済界から批判が強い「鎖国」と揶揄(やゆ)される水際対策に関し、コロナ対策を段階的に見直す一環として緩和する方針に言及した。
ただし、観光目的の外国人(いわゆるインバウンド)の新規入国は「少人数のツアー」に限定するとも報じられ、全面解禁には至らないと言われている。日本人が海外へ往来するのはOKでその逆は駄目だという理屈は破綻しており、もはや水際対策の体裁をなしていない。限定無しに即時全解除が常識的な対応だろう。
また、インバウンド全面解禁は外圧によって「ガラパゴス化」した防疫政策のあり方を見直し、成長率の復元に弾みをつける好機にもなるはずである。炎天下の屋外やスポーツジムでもマスク着用に固執する日本の状況は世界的に見ても異様であり、これを海外から来た人々に強いるのは無理筋である。
現に岸田首相自らが、外遊においてマスク着用を避けているのが示唆的である。もはや日本社会の防疫意識は自浄作用が働かなくなっているようにも見え、インバウンド全面解禁とセットでこれを修正するのが賢明と考えたい。
逆に言えば、この機を逸してしまえば、日本のパンデミック脱却はさらに遅延するのではないだろうか。自分で変えられないなら他人に変えてもらうしかない。
<インバウンドによる円安抑制効果>
インバウンド全面解禁はこうした防疫政策の正常化を促すほか、岸田政権の標榜する「新しい資本主義」(具体的には分配)にも貢献する話だ。
インバウンド全面解禁に伴い外国人は日本全国に散らばり、消費・投資をしてくれるだろう。拡張財政に依存した「GO TO政策」よりも、よほど健全に飲食・宿泊・旅行業界をバックアップする効果が見込めるであろうし、それ自体が地方活性化策にもなるはずだ。分配政策に関心を抱く岸田政権にとって悪い話ではないと思われる。
しかし、インバウンド全面解禁に伴い最も期待されるのは、円安抑制と景気浮揚に関する効果であろう。この点は議論の余地がない。
仮に円安による輸入物価上昇(それに伴う実質所得環境の悪化)を食い止めたいのならば、インバウンド全面解除に伴う旅行収支黒字の復活は王道である。国内生産拠点が失われ円安でも「財の輸出」が増えなくなった日本が、「サービスの輸出」である旅行収支(の受け取り)で外貨を稼ごうとする展開は誰しもが理解するところだろう。
当然の話だが、今の日本社会で「悪い円安」というフレーズが跋扈(ばっこ)しやすい背景には、円安のメリットを体感できない現状がある。通貨安には当該国の競争力を相対的に改善させることで外貨獲得の機会が増えるというメリットがある一方、輸入財の価格が上昇し購買力が低下するというデメリットがある。
メリットは鎖国政策で自ら打ち消し、デメリットだけが残る現状に対し「悪い円安」と呼ぶ世間の胸中も理解できる。
日本の旅行収支黒字は2015年に約1.1兆円と暦年ベースでは初の黒字に転じ、その4年後の2019年には約2.7兆円と3倍弱まで膨らんでいる。当時の勢いを考えれば、パンデミックさえなければ過去最高の黒字を更新していたはずである。その点で2020年に東京五輪が通常開催されなかったことが悔やまれる。
より具体的な数字を見よう。2021年の経常黒字は約15.5兆円とコロナ直前の5年平均(2014─2019)の約19.9兆円と比較すれば4─5兆円ほど下振れている。
恐らく2022年はもっと小さくなる。下振れの原因は言うまでもなく貿易赤字の拡大であり、実際に円売りフローが増えたことを意味している。過去の実績を踏まえる限り、旅行収支黒字(2019年で約2.7兆円)はその貿易赤字により増えた円売りの小さくない部分を吸収するイメージになる。需給が円売り超過に傾斜していることが円安相場の背景と言われている以上、一定の歯止めとしては期待できる。
また、円安抑止と同時に景気浮揚効果も当然ながら期待できる。観光庁が発表した訪日外国人消費額は2019年時点で約4.8兆円と7年連続で過去最高を更新していた。実質実効ベースで半世紀ぶりの円安になっているということは、インバウンドにとってそれだけ日本の物価が「お得」に映っているはずなので、消費額はさらに増える可能性がある。
パンデミックを経てインバウンドが日本で発揮する購買力は、アップしていることも加味したい。もちろん、そうしたインバウンド絡みの消費・投資だけで日本全体の雇用・賃金情勢ひいては物価情勢が押し上げられるほど大げさな話にはならないだろう。
上述したように、インバウンド解禁と合わせてガラパゴス化した日本の防疫政策の修正が進み、最も重要な家計部門の消費・投資意欲が復元されることがインバウンド解禁それ自体と並んで非常に大事なポイントになる。
<中国と日本、旅行収支の対称性>
もっとも、貿易収支と同様に旅行収支も「相手がある話」だ。インバウンドの大半は中国人であり、2019年時点では訪日外客数3188万人のうち約30%(959万人)が中国人であった。周知の通り、その中国はゼロコロナ政策に固執しており、日本以上に防疫政策による経済破壊が進んでいる。
もっとも中国は、2021年中にパンデミック以前の国内総生産(GDP)水準に回復しており、日本と違って余力はある。インバウンド全面解禁の効果をフルに享受するためには、中国のゼロコロナ政策放棄も必要であろう。
なお、パンデミック以前は赤字への転落もささやかれた中国の経常収支は、黒字水準が明確に切り上がっている。これは輸出増とともに、日本とは逆に旅行収支を中心とするサービス収支の赤字が激減していることに起因する。
言うまでもなくパンデミックで海外旅行ができなくなった影響であり、日本側から見れば「爆買い」と形容された消費活動が消滅した結果でもある。この点、為替市場において名目実効為替相場ベースの推移に目をやると、人民元と円が対称的な動きをしていることに気づく。これは中国人が日本で落とす外貨(円買い・元売り)が巻き戻された姿も示唆しているように思える。
仮にそれが事実だとすれば、インバウンド全面解禁に伴う円安抑止効果が期待できるだろう。
以上見るだけでも、インバウンド全面解禁には1)防疫政策の正常化、2)分配の強化、3)円安抑止と景気浮揚──といったメリットが想像できる。
一方、デメリットは「変異株が持ち込まれる」という感情的で検証の難しい論点だろう。いつまでも日本に入って来ようとしている外国人を「ばい菌」扱いして入国規制を続けても、閉塞的な日本経済の状況は良い方へ変わらない。科学的根拠に基づいた上で、未来にとって有益で迅速な政治決断を期待したい。
*写真を差し替えて再送します
編集:田巻一彦
(本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています)
*唐鎌大輔氏は、みずほ銀行のチーフマーケット・エコノミスト。2004年慶應義塾大学経済学部卒業後、日本貿易振興機構(ジェトロ)入構。06年から日本経済研究センター、07年からは欧州委員会経済金融総局(ベルギー)に出向。2008年10月より、みずほコーポレート銀行(現みずほ銀行)。欧州委員会出向時には、日本人唯一のエコノミストとしてEU経済見通しの作成などに携わった。著書に「欧州リスク:日本化・円化・日銀化」(東洋経済新報社、2014年7月) 、「ECB 欧州中央銀行:組織、戦略から銀行監督まで」(東洋経済新報社、2017年11月)。新聞・TVなどメディア出演多数。
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