小学校の音楽教諭を定年退職し、幼いころから夢だった作曲家として活動している。「まだ売れたCDはわずか。実態は年金生活者です」と謙遜するが、好きなことに没頭する充実感をにじませる。地元の江東区や墨田区をテーマに作った曲もあり、知名度アップをうかがっている。
黒沢明監督の映画音楽を手掛けたことで知られる早坂文雄さんやブラームスら、作曲家へのあこがれが漠然とあったという。高校時代に所属した吹奏楽部で音楽に詳しい仲間に出会い、触発され、音楽大へ進学した。「作曲家になりたい」と師に相談したが、「食べていくのは厳しい」と見定められ、なりわいとすることは断念した。
趣味の延長として創作に取り組んできたが「仕事があるうちは、なかなか身を削るようなことはできなかった」。ちょうど十年前に定年を迎え、以降はピアノの練習と作曲技法の勉強を午前に一時間ずつ。午後は丸ごと曲作りに充てる。着想を得たメロディーをピアノで弾いては修正する生みの苦しみを味わっている。
ジャンルはクラシック・交響曲。「生まれ育った街で一生懸命生きている人の様子も描きたかった」といい、地元をイメージした曲シリーズ「墨東」もある。錦糸町駅前(墨田区)の朝の雑踏を行進曲調に表現。富岡八幡宮(江東区)のおはやしを連想させる祭りのようなリズムの曲などもこれまでに作っている。
好きなことを追い求めるための出費は、ばかにならない。作った曲を楽団に演奏してもらったり、スタジオで収録したりと一枚のCDができるまで数百万円かかるという。これまでに作ったCDは三枚で、「退職金をつぎ込んでいる」。それだけに周知に熱が入る。
地元の公共施設のほか、ゆかりの曲を作ったこともある父の故郷・新潟県燕市や、米国の五大オーケストラに対してもCDを送付し、評価を仰いだ。唯一、燕市から「公共施設で流したい」と反応があったという。もっと多くの人に聞いてほしいと、曲はYouTubeにもアップしている。
充実感と同じくらい、曲に対する世間の素っ気ない反応に厳しさを痛感しているが、へこたれない。
「まだまだ自分は駆け出し。葛飾北斎は年老いて、あと十年過ぎたら本当の絵描きになれると理想を語っていた。簡単にいかない。青春というか、苦学力行でいければ」。人生百年時代。突き詰める時間は、まだまだ残されている。 (井上靖史)
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