私の息子は殺人犯か、被害者か――。
究極の問いを前に揺れ動く家族の物語、雫井脩介『望み』がついに映画化!
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◆ ◆ ◆
3
「そうすると、棟上げまでは何とか予定通りに行きそうですか?」
〈そうだね。あとはお
「よかった、よかった。一時はどうなることかと思ったけど」
〈まあ、それはそれとして、材料がこれだけ変わってくると、見積もり通りにはいかなくなるからね〉
「それは向こうも承知の上ですから大丈夫ですよ」
〈ならいいけど〉
「じゃあ、社長、引き続き」
〈はいよ〉
高山建築の社長との電話を終わらせると、時計は十二時を回っていた。アシスタントの梅本もスタディ模型から手を離し、昼食に出ていった。
一登も事務所を出て自宅へと戻る。リビングに入るなり、カレーの匂いが漂ってきて食欲をそそられた。しかし、一登を待ち構えていた貴代美は、何やら深刻そうな顔をしていた。
「ねえ、お父さん」
彼女はそう呼びかけながら、くしゃくしゃになった小さな厚紙のようなものを広げてみせた。
「規士の部屋のごみ箱に、こんなのがあったんだけど」
紙には印刷が施されている。どうやらナイフのパッケージに付いていた紙のようだった。
「ナイフよね?」印刷されている文字で一目
「でもこれ、ただの切り出しだろ」一登は答える。「何かの工作のために買ったんじゃないのか?」
「それだったら、昔買った工作用ナイフがあるでしょ」
「小学校で買ったやつだろ。さすがにそれじゃあ、間に合わないってことじゃないのか」
「もっと本格的なのが欲しかったとしても、お父さんに借りればいいんだし」
貴代美が言う通り、一登は家の細々とした補修など職人に頼むまでもない大工仕事を自分でやったりするので、工具類は一通りそろえている。切り出しナイフも切れ味のいいものを二、三本持っている。
規士が買ったナイフは、ホームセンターなどで売っている
「それにあの子、学校で取ってるの、書道よ」
一登はそこまで把握していなかったが、規士が高校の芸術系科目で選択しているのは美術ではないらしい。
「プラモデルでも何でもいいけど、何か部屋で物を作ってるような様子はないのか?」
「何もないわよ」
顔にあざを作っても、本人は大したことはないと言っている。
そして、電話で友人と何やら物騒な話をしていると雅から聞いたのは
しかし、それくらいなら、周りでわあわあ変に騒ぎ立てるようなみっともないことはしないほうがいいと思っていた。
中高生の時期というのは、人間的にも不安定なものなのだ。特に年頃の男の子というのは、危なっかしい攻撃性をぐらぐらと揺れる器に載せるようにして生きている。一登は女ではないので、女の場合の事情はよく分からないが、男は自分の少年時代を顧みれば分かる。
中学時代も高校時代も、それなりに楽しい出来事は多かった。気の合う友達と馬鹿話で盛り上がるときは罪のない世界で生きているに等しく、今思い出しても、自分があれほど無邪気でいられた時代があったとは信じられない気分になるほどだ。
しかし、一方で思うのは、あれほど狭い世界で生きていた時代があったというのも信じられないということだ。
正直に言えば、今、人生をやり直せると言われたところで、一登は中高生時代に戻りたいとは思わない。
見えている世界は狭く、世の中の仕組みは何も分からず、面識のない人間は意味もなく怖かった。覚えなければいけないことばかりで、自分一人では何も生み出すことができない。半人前とよく言うが、少年時代は人間としてもまさに中途半端なのだ。
そして、
暴力も身近にある。一登が子どもの頃は中学校などが荒れていた時代だったのでなおさらだが、訳もなく
一登自身、別段好戦的な性格ではなかったが、中三のときに、休み時間の校庭の場所取りをめぐって隣のクラスの男たちと小競り合いが起き、ちょっとした乱闘に加わる羽目になったことがあった。乱闘とは言っても、お互いに胸ぐらをつかみ合って押したり振り回したりする程度のもので、シャツのボタンが飛ぶくらいの被害しかなかったが、そのときの興奮ぶりはあとから考えても、我ながら鼻白んでしまうほどのものだった。胸ぐらをつかみ合うだけであっても、握ったこぶしから腕のひねりから、全筋力を総動員するようにして、そうしていたのだ。今でもその感覚は忘れられない。
ただ、一登がそういう暴力的衝動を表に出したのは、そのときだけだった。部活の先輩に小突かれたり、クラスの鼻持ちならない男といがみ合ったりしたときも、そういう衝動が湧くには湧いたのだが、ぐっと抑えこんだ。さらに言えば、がみがみと生活態度にうるさかった自分の父に対しても暴力的衝動が湧いたことはあった。一度や二度ではない。しかし、それも全部抑えこんできた。
中高生という多感な時期に対する一登の否定的な思いというのは、つまり、そういうことである。暴力的なものや性的なものを含めていろんな衝動を抱え、それを抑えつけるようにして狭い世界の中で生きている……むろん、全部が抑えられるわけもなく、態度や言葉尻、あるいは大人たちが見ていないところで、それらは表出される。
その危うさは、大人たちがうまくコントロールできるものではない。親であってもそうだと一登は思う。
貴代美が第一子を身ごもったとき、心のどこかで女の子が生まれてくるのを期待していた。もちろん、その子が規士であったことに不満はないし、赤ん坊の頃の彼は十分すぎるほど可愛かったのだが、自分の中の潜在的な意識を覗いてみれば、思春期の男の子に対するそうした思いをかねて持っていて、できればそういう存在を目の前に置きたくはないという感覚があったのだと分かる。
しかし、現実的に規士がその年頃まで成長を遂げた以上、一登としても向き合わざるをえない。
ナイフを買ったのも、それなりの理由があると見たほうがよさそうだ。
何かの衝動を規士が抱えていたとしても、一登がそれをコントロールできるわけではない。
できると思った時点で、それは思い上がりだ。
では、どうするか。
規士自身にコントロールさせるしかない。
結局のところ、親としては、いかにも親がやりそうな通りいっぺんの釘を刺すしかなく、しかもそれが最善策なのだろうと一登は思うのだった。
「分かった。帰ってきたら、一言言ってやるよ」
一登はそう請け合い、自分の中に生じた気鬱さを深い息と一緒に吐き出した。
その日、一登は早めに仕事を切り上げると、クッキーの散歩も手早く済ませ、あとはダイニングのテーブルに居座って、規士が帰ってくるのを待った。
吹奏楽の部活を引退して受験勉強一本の生活になった雅は、この日は塾があり、一人でカレーを食べ終えたあと、六時すぎには家を出ていった。
それから少しして、規士が帰ってきた。
「ただいま」も言わず、階段を上っていこうとするところを、一登は「規士」と呼び止めた。
「ちょっと話があるから、かばんを置いたら、こっちに下りてきなさい」
規士はわずかに
規士は二階に上がってから四、五分、ぐずぐずしていたが、やがてTシャツにハーフパンツの部屋着に着替えてリビングに下りてきた。
「座りなさい」
一登が向かいに手を振ると、規士はそれに従って椅子を引いたが、同時に、一登の手もとに置かれた切り出しナイフに目が留まったらしく、彼の片頰がかすかにゆがんだ。
その切り出しナイフは、貴代美の話を聞いたあと、一登が規士の部屋の机の中から見つけ出してきたものだった。右上の引き出しのトレイの片隅に、こっそり入っていた。
「これはお前が買ってきたのか?」
一登は切り出しナイフを目で指し、規士に訊く。
「人の机の中、勝手に見るなよ」
規士は答える代わりに、不機嫌そうな声でそう言い返してきた。
「時と場合による」一登は言った。
刃物を置いているからなのか、規士との間には普段にない緊張感が存在していた。一登は、息子の心の
「父さんだって、こんなことはしたくない。だけど、家の中に何か危険なものが持ちこまれてるなら、この家の
「別に危険じゃないし」規士はうっとうしそうに小さな息をついて言った。「父さんだって、この手のやつ、持ってんだろ」
「父さんは大工仕事で使うからだ。お前は美術の授業があるわけじゃなし、何に使おうっていうんだ?」
「何って……いろいろだよ」
「いろいろじゃ分からん。はっきり答えなさい」
そう言うと、規士は答えあぐねるようにして黙ってしまった。
キッチンに立っていた貴代美が回りこんできて、一登の隣に座った。
「あなた、外で何か変な揉め事に関わってるんじゃないの?」規士の顔を覗きこむようにして、彼女は訊いた。「顔の怪我のことと、何か関係があるんじゃないの?」
「関係ないって」規士は小さな声で答える。
「お前が外で何か物騒な揉め事に関わってるとするなら、親として保護者として、それも知らんぷりしておくことはできないんだぞ」
「何でもないってば」
規士はそうとしか言わず、テーブルにはすれ違いの沈黙が生まれた。
「お前が木工細工か何か、あるいはプラモデルでもいい、物づくりに興味が芽生えて、だからこれを買ったって言うんなら、父さんは黙ってこれを返す」
どんな揉め事を抱えているのかは分からないが、そもそも日々を無為にすごしている姿勢がそうしたものを呼びこむのだとの思いから、一登はそんな言い方をしてみせる。
「それで建築に興味が湧いて、お父さんと同じ仕事をしたいなんてことになったら、私もお父さんも
空気が重くならないようにしたいのか、少し口調を軽くして言った貴代美の言葉に、規士は顔をしかめる。
「いや、俺は別に、規士が跡を継いでくれたら嬉しいとか、そういうことを言いたいんじゃない。そんなことは別に思っちゃいないんだ」
自分の言葉を否定されて貴代美は不満そうに唇を結んだが、一登はそれに構わず続けた。
「規士の人生は規士のものだ。親に妙な期待をかけられて、それを煩わしく思う気持ちは分かる。父さんもお前の年頃のときはそうだったからな」
一登の父はもう他界してしまったが、地元で大学の教員を務めていた。特別レベルの高い大学ではなかったが、大学の先生ともなれば、その肩書きだけで周りの見る目も違う。父本人もプライドが高かった。そんな父からの
「父さんが何か注文をつけるとするなら、
「何だかんだ言って、継がせたいんじゃん」言葉尻だけを
「違う。やる気のない人間に無理に継がせられるほど甘い世界じゃない」
そう言うと、規士は口をつぐみ、どうでもいいと言いたげに小さく肩をすくめるような素振りを見せた。
「とりあえず、使う目的が言えないなら、これは父さんが預かっておくぞ」
一登が目で指した切り出しナイフを規士は恨めしそうに見ていたが、やはり何も言わなかった。
「それだけ?」
素っ気なく捨て
「お前、夏休み頃から何度も朝までどこかほっつき歩いてるみたいだけど、誰と遊んでるんだ?」
「誰って、名前出したって分かんないでしょ」規士がしらけ気味の口調で言う。
「
「いつの話、してんの」
仲里
ただ、高校は規士とは違う学校に進んだと聞いている。そして今はどうやら、遊び相手としても疎遠になっているようだった。
「
「高校の友達か?」
「いろいろだよ」
規士は無理やり話を打ち切るように言って、二階に上がってしまった。
反抗期というのも少し違う。
中学生の頃の規士は、親の言うことを煙たがる素振りを見せながらも、一方では行動に子どもらしい躍動感があった。それは確かに反抗期だった。
今は躍動感が消え、斜に構えたような態度だけが残ってしまった。
やはり、怪我をして部活からドロップアウトしたことが尾を引いているのだろう。日々打ちこむものを失い、遊び仲間といたずらに時間を費やすことによって、そこから目を逸らそうとしているのだ。
しかし、心は
何か打ちこむものを見つけることができれば、鬱屈しているような現状を変えられるはずで、一登としてはそうならないかという思いからいろいろ話をしているのだが、肝心の本人にまったく響いていないのがもどかしいところだった。
ただ、自分の若い頃の感覚から考えても、親の言葉はうるさく聞こえてしまうのが常だ。結局は自分で気づき、その気になるしかないのだ。
ため息の代わりに鼻から息を抜いた貴代美と目が合う。息子との嚙み合わないやり取りに彼女も戸惑いを隠せないようだが、昼間、ナイフの話を持ち出してきたときのような不安の色は、表情からだいぶ消えていた。
親の目はちゃんと光っているということは十分伝わったはずだ。この手の問題については、少しうるさいと思われるくらいでちょうどいい。
少なくとも、これで妙な揉め事は起こさずにいてくれるだろうと思った。
4
──否が応にも彼らの気勢は上がった。
貴代美は目の前の校正ゲラに書かれているその文章に目を留め、「否が応にも……否が応でも」と小さく呟いてみる。
誤用だろうな……そう判断し、活字の「否が応にも」をシャープペンで丸く囲み、線を引っ張って、「いやが上にも?」と記す。かたわらに置いた辞書を開き、「否が応でも」と「いやが上にも」の意味を並べて、その下に書き添えた。
この作家さん、けっこう名の知れた人だけれど、文章は意外と雑なんだな……貴代美はそのページに小さな
ただ、ここ三日ほどがんばったおかげで、連休明けにはきっちり仕上げて校正プロダクションに返せる
世間はシルバーウィークの五連休に入ったところだが、貴代美にはあまり関係がない。子どもたちもどこかに連れていけとせがむ歳でもなくなった。実際、雅は連休中は塾の特別授業に連日通っている。規士は規士で、勝手に一人、また遊びに出てしまって帰ってこない。連休の最後、身体が空いている者だけで彼岸の墓参りをして、帰りに母の顔でも見に寄れば、それで休みのイベントは終わることになるだろう。
しばらく静かなリビングで仕事を続けていたが、時計が十一時半を回った頃になってシャープペンを置き、昼食の準備に取りかかることにした。
窓際で寝そべっていたクッキーがやおら起き上がり、貴代美の足にまとわりつく。クッキーの食事タイムは夕方なのだが、昼食を作っているときに貴代美が余ったチーズなどをおやつ代わりに与えることがあり、クッキーもそれを期待しているのだ。
アイランドキッチンにまな板を置き、味噌汁の具となる白菜を刻む。包丁を動かしながら、昨日の夜、出ていったままの規士が、まだ帰ってきていないことが気になった。
夏休み中、規士は四、五回ほど、夜遊びに出ては次の日に帰ってくるということがあった。二回目のときには貴代美も小言めいたことを言ったのだが、規士の返事は、「自分だけ帰るわけにもいかない」というものだった。何人かのグループで遊んでいるらしい。高校生には高校生の付き合いがあるとでも言わんばかりに、貴代美の小言は受け流されてしまった。
一登も夏休みのうちはうるさく言わなかった。十日ほど前、ナイフの件があって、ようやく釘を刺したような次第だ。その週末の夜は、規士は遊びに出ていかなかったので、それなりの効果があったのではと思っていた。
しかし、シルバーウィークが始まる昨日、土曜の夜になって、友達からの誘いを受けたのか、夕飯を食べたあと、家を出ていったのだ。部屋着のハーフパンツからジーンズと薄手のパーカーに着替えて階段を下りてきたので、貴代美は「出かけるの?」と訊いた。規士は「ちょっとね」などと短く答えるだけだった。「早く帰ってきなさいよ」と声をかけても、返ってくるのは生返事めいた声である。それもいつものやり取りと言えばいつものやり取りだ。
ただ、そうやって彼が夜に家を空けるときは、決まって次の日の早朝から遅くても十時すぎには帰ってきていた。そしてそのままベッドに入り、二時、三時まで下りてこない。夜通し、寝ずに遊んでいるからだろう。
だから、昼になろうとするこの時間まで帰ってこないというのは、これまでなかったことで、何をしているのだろうかと気にかかったのである。
十二時近くになって、一登が事務所から戻ってきた。今日は昼食後、先日この家を見学に来た種村夫妻が購入した土地を見に行くことになっているらしい。
彼はダイニングテーブルに着くと、壁時計にちらりと目をやり、
お茶をいれた貴代美は彼の向かいに座り、自分の箸を取りながら、「規士、何やってんのかしら」とこぼした。
「ほっとけ」一登はアジの開きをつつきながら言う。「どうせ徹夜で遊び回ってんだから、無理に起こしたって起きてこないだろ」
「違うの」貴代美は言った。「まだ帰ってきてないのよ」
「え?」
一登はさっき見たばかりの壁時計にもう一度目をやり、呆れたように顔をしかめて、「まったく」と呟いた。
「電話してみようかしら」
「ほっとけ」一登は言い捨てるように応えてから、「メールしとけ」と言い直した。
「そうね」
食事を終えたところで、皿を片づけるより先に、貴代美はスマートフォンを手に取った。
「連休だからって、羽を伸ばしすぎだ」
メールでそう送っておけということか、一登はそんなふうにぶつぶつと言い残して、仕事に出ていった。
(つづく)
▼雫井脩介『望み』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321901000155/
▼映画公式サイト
https://nozomi-movie.jp/
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September 01, 2020 at 10:03AM
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