現在進行形のジャズ・シーンを捉える『Jazz the New Chapter(以下、JTNC)』シリーズの第6弾が、2020年2月に刊行された。「ロバート・グラスパーから広がる現代ジャズの地平」を掲げて21世紀以降のジャズをマッピングするという類例のない試みとして2014年から始動した同シリーズは、動き続けるジャズと並走するように号を追うごとに新たな視点を提示し続けることで、増殖し拡散するジャズ・シーン全体を読み解くことに貢献してきた。ジャズとその周辺の音楽の動向は、JTNCの登場によって格段に見通しがよくなり、そしてスタイリッシュなものとして多くのリスナーに届けられてきたに違いない。
筆者は4号より同シリーズに参加し、このたび完成した6号では「なぜ今、アンソニー・ブラクストンなのか――現代のジャズ・アヴァンギャルドにその実態を訊く」と題した取材論考を寄稿した。サンダーキャットやフライング・ロータス、クリスチャン・スコット、ジェイコブ・コリアーあるいはカッサ・オーヴァーオール等々、シーンを彩る立役者たちの動向をドキュメントした本書は、現代ジャズの潮流をどのように描き、そしてジャズ・アヴァンギャルドとどのような関わりを持っているのか? JTNCシリーズの監修者・柳樂光隆氏と筆者で行った対談を通して見えてきたのは、そうしたジャズのありように加えて、これからの音楽批評を考えるうえで向き合わなければならない論点の数々だった。(細田成嗣)
■変遷する現代ジャズの潮流とJTNCの方向性
細田:JTNCの1号は2014年2月に刊行されました。なので6周年にして6号が完成したわけですが、今回はシリーズの象徴的存在と言ってよいロバート・グラスパーのインタビューが掲載されていなかったり、ディスクガイドをはじめほぼすべてのページを柳樂さん一人で執筆していたりと、5号と比べてもだいぶ異なる内容になったのではないでしょうか。
柳樂:そうだね。ただ、6号の内容や体裁は4号のころから徐々に意識しはじめた方向性がもとになっているとは思う。1号のころは現代ジャズをマッピングしてわかりやすく提示するのがコンセプトだったんだけど、だんだんガイド的な要素が薄まってきて、4号あたりから方向性が変わっていったんですよね。3号と4号の間に作った『MILES : REIMAGINED 2010年代のマイルス・デイヴィス・ガイド』で手応えを感じたから変化したとも言えるし、同時期にオバマ政権が終わってジャズシーン事態にも変化があったことも関係しているんじゃないかな。
細田:昨日JTNCの全シリーズを家で並べて気づいたんですけど、1~3号と4~6号で表紙のデザインが変わってますよね。ちょうどそのタイミングで担当編集者も小熊俊哉さんから荒野政寿さんに交代しています。4号からはどんな方向性を意識しはじめたんでしょうか?
柳樂:3号までは21世紀以降のジャズに見取り図を与えるというところがあったんだけど、4号からは今のジャズ・ミュージシャンの音楽観やどういった過去の歴史に遡れるかというところに軸足が移っていった。そしたらジャズというよりも、ジャズが大きなウェイトを占めているアメリカの音楽とは何なのか、という方向性になっていった。とはいえもちろん、JTNCで取り上げる対象はあくまでも新譜の内容に応じて決まっていくんだけどね。
細田:ジャズとは何かというテーマを突き詰めると必然的にアメリカ音楽に行き着きますよね。これは柳樂さんも以前おっしゃってましたけど、ジャズはアメリカという比較的歴史の浅い国で生まれた数少ないオリジナルな文化の一つですからね。それにアメリカは多民族国家ですけど、ジャズという音楽自体がさまざまな要素が混じり合って誕生しています。振り返ればJTNCというシリーズも、ヒップホップなりネオソウルなりフォークなりエレクトロニック・ミュージックなり、他のジャンルとジャズが混じり合うところに新たな地平があるという話から出発していました。
柳樂:そうそう、あとインディーロックとかね。JTNCは現代ジャズがハイブリッドだという話をしながら、そもそもジャズ自体がハイブリッドだったという話を過去に遡ってきちんと回収しようとしてる本な気がする。
細田:アメリカ音楽とは何かというテーマのもと、そうした回収作業を4号から続けてきたとも言えるわけですが、今回6号を制作するにあたって中心となるようなコンセプトはありましたか?
柳樂:どの号もそうだけど、基本的には制作途中にコンセプトが固まってくるんですよ。ただ、JTNCはずっとリズムとドラマーの話をしてきたじゃないですか。そこからクラシックに目が向きはじめて、それで現代ジャズにもハーモニーに関して新しい変化が出てきたように感じていた。だから5号では作曲とハーモニーに関心が向いていたとは言えますね。その流れでジェイコブ・コリアーを大々的に取り上げようというのは決めていた。
細田:リズムからハーモニーへ、というのはたしかにありますね。あと6号ではディアスポラがキーワードになっているような気もしました。「アンジェリーク・キジョーによるアフリカン・ディアスポラの音楽」や「アヴィシャイ・コーエンから辿るユダヤ系音楽の広がり」といったコラムもありますし、コートニー・パインをはじめ複数のミュージシャンのインタビューでも、離散した移民コミュニティの話題が出てきます。
柳樂:ディアスポラを取り上げるようになったのは、クリスチャン・スコットの活動が大きなきっかけだったのかもしれない。アメリカの音楽を遡ると、そもそもどういうふうに音楽が新大陸へと入ってきたのかが重要になるじゃないですか。そういうジャズの成り立ちみたいな話になったときに、たとえばピアニストのダニーロ・ペレスは「ニューオーリンズはアメリカの南部じゃなくてカリブ海の北部だ」みたいに言っていて。そのことに対する現代的な応答の一つがクリスチャン・スコットだと思ったんだよね。で、もともとラテン的なものの役割の大きさに対してはずっと関心があったから、そこにどういう意味があるのかを掘り下げていったら、必然的にディアスポラというテーマが出てきたんじゃないかな。近年はアメリカとは違う形でディアスポラが重要なテーマになっているイギリスのジャズも面白くなってきたしね。
細田:ディアスポラの問題を考えるのであれば、ゆくゆくはジョン・ゾーンとツァディク・レコードも対象に入ってくるのではないでしょうか。
柳樂:もちろんそうなんだけどね。それこそジュリアン・ラージとかがツァディクで録音してるし。ただ、ジョン・ゾーンの活動を読み解くことには関心があるんだけど、どうせやるんだったらきちんと伝わる形でまとめたいと思っていて。うまくまとめられる視点が見つかったら取り上げたいですよね。再評価をされるべき人物だとは思う。
細田:なるほど。しかしそれはJTNCならではの面白さでもあると思います。フリー・ジャズだから取り上げるわけではなくて、シリーズのコンセプトに沿う視点が見つかったら掘り下げるという。対象が同じでも切り口を変えるだけで別の見方ができるようになる。それはおそらく、ジョン・ゾーンのことをよりよく知るための手段でもありますよね。
■JTNCのシリーズに通底するコンセプト
柳樂:記事の作り方とか書き方とか、取材の仕方もそうなんだけど、JTNCに限らずいつも必ず視点の設定をしているんですよ。音楽ライターって基本的には新譜が出たら仕事がくるわけじゃない? でも書く理由がそれだけだと、新譜が旧譜になった時点で記事の価値がなくなってしまう。
細田:ま、紹介して消費されて終わっちゃいますよね。
柳樂:そう。これは僕がインターネット以降のライターだからかもしれないけど、自分が書いた記事の多くはウェブ上にずっと残っていて、ググればいつでも読めるものだという感覚があるんですよね。だから誰がいつ出会っても価値のあるテキストにしたいと思っていて。そのためにミュージシャンの音楽性の核だったり歴史に紐づいたことだったり、新譜の話以外の視点を必ず入れるようにしている。そうすればいつ参照しても読むに足るものになるよね。国会図書館に所蔵されてこの先、誰かに参照される際も意味があるものにできると思うし。
細田:それはJTNCのシリーズに通底するコンセプトでもあるのではないでしょうか。たとえば今のミュージシャンに歴史と紐づいた話を訊いていくと、これまでの定説では見過ごされていた人物の重要性が見えてきたりしますよね。ジャズの言説であれば、いわゆるスイングジャーナル的な歴史観とは別の系譜が見えてくるわけですよ。歴史というのはつねに書き換えられる可能性がありますからね。
柳樂:実際に書き換えられた歴史っていくらでもあると思うよ。JTNCをはじめてからも一般リスナーのレベルでジャズ史に対する認識が変わってきたと思う。
細田:新たな価値観を設定してこれまでのジャズ史を切り取っていくというのは、クラブ・カルチャーにおけるレアグルーヴ的な手法でもあると思うんです。クラブ・カルチャーだとその視点が「踊れるか否か」になるわけですが、JTNCでは価値観や評価軸自体を新しく生み出していくところがある。
柳樂:それはレアグルーヴやヒップホップ、クラブ・ジャズと、その評論みたいなものを反面教師にして身につけた考え方だと思う。たとえばヒップホップのプロデューサーがロイ・エアーズをサンプリングするじゃないですか。それは過去の歴史との接点にはなるけれど、非常に即物的な魅力を書くことはできても、サンプリングされた事実以外の意味をあまり見出せなかったんですよね。それよりも音楽的なスタイルや演奏法、もしくは理論とか、そういう別の歴史となんらかの意味を持たせて接続したいと思った。それはヒップホップやクラブ・カルチャーから出てきたディスクガイドに感じていた物足りなさを埋めようと思ったからなんだよね。
細田:物足りなさを埋めるためにまったく別のやり方を採用するのではなくて、クラブ・カルチャーで用いられていたレアグルーヴ的な手法を援用しながら、「踊れるか否か」ではなく別の価値観を持ってくるところが面白いなと感じました。
柳樂:でもそれって音楽評論の基本中の基本とも言えるよね。JTNCはそうした基礎的なことを丁寧にやっているだけなのかもしれない。素朴な疑問をちゃんと解決することを続けてるというか。たとえばギル・エヴァンスとマイルス・デイヴィスを取り上げたら、必然的にクラシックとかラージ・アンサンブルがテーマとして出てくるじゃないですか。じゃあジャズとクラシックってどのくらい関係あるだろうって疑問が出てきたときに、定説を振り返ってもサード・ストリームの議論ぐらいしか出てこない。そうじゃなくて、実際に今のジャズ・ミュージシャンにクラシックとの関係について訊いて考える。そうすると定説にはない系譜が見えてきたり、歴史を遡るための新しい価値観が見えてきたりする。
細田:物事を丁寧に見て素朴な疑問を解決していくという意味では、たしかに基本的なことではありますね。とはいえJTNCには画期的だと思うコンセプトもあります。たとえば「ロバート・グラスパーから広がる現代ジャズの地平」と言いつつ、何か新しいジャンルを打ち出しているわけではない。むしろ1号からメアリー・ハルヴァーソンとか出てくるわけですよね。一般的には音楽評論家ってとにかく名づけたがるものだと思うんですけど、柳樂さん自身には名づけたい欲望みたいなものはなかったんですか?
柳樂:なかったかなあ。そもそもロバート・グラスパーの『Black Radio』だって、ジャズとネオソウルとR&B、ヒップホップのイメージがあるけど、ニルヴァーナからデヴィッド・ボウイやシャーデーまでカヴァーしてる。だからグラスパーでさえ正直なんだかよくわからない音楽なんだよね。ホセ・ジェイムズもエスペランサもそう。だから画期的というよりも、普通に丁寧にやると分類ができなくなっていくということだと思う。
細田:当初からジャンルとして名づけられないほど現代ジャズの地平が広がっていたと。
柳樂:そうですね。1号からすでにワールド・ミュージックを取り上げていて、吉本秀純さんに担当してもらったんだけど、ゲタチュウ・メクリヤとか志人とかスガダイローとか入ってるし、とてもジャンルとしてくくりきれないんじゃないかな。
細田:たしかに。センヤワも入ってましたしね。とはいえ、カテゴライズ不能でありつつも、何でもありというわけでもなくて、明確なコンセプトに沿って扱う対象を決めています。もし新しいジャンルということでまとめて紹介していたり、新しいミュージシャンを単に新しいというだけの理由で紹介してきたら、6号まで続けることはできなかったと思うんですよね。逆に言うと、紙の本としてまとめるためのさまざまな建てつけ――たとえば「アメリカ音楽とは何か」であったり、「クラシックとジャズの関係」、それに「音楽教育の重要性」や「現在進行形のミュージシャンを起点にすること」など――を設定することで、「ヒップホップを通過したジャズ」みたいなテーマだけでは掬いきれないようなミュージシャンを取り上げて、同時代的なコンテクストを提示することができる。
柳樂:ディアスポラからジョン・ゾーンを取り上げる話が出てくるのはまさにそうだよね。
■なぜ今、アンソニー・ブラクストンを取り上げたのか
細田:アンソニー・ブラクストンを取り上げるというのもそういうことだと思うんです。実は今回ブラクストンの記事を書くにあたって、それぞれのミュージシャンに取材する際に、単にブラクストンをどう思っているのか訊いたのではなくて、まずはじめにJTNCのコンセプトを説明しました。具体的には「ブラクストンのイメージを脱神秘化し、正当な評価を与えること」「ブラクストンの教育者としての側面にフォーカスすること」「あくまでも現在のミュージシャンに起点を置くこと」を伝えました。
柳樂:ブラクストンは今のミュージシャンから遡ったら出てくる人だし、最近よく名前を見かけるよね。それで、みんな褒めてるけど、どこを褒めてるのかよくわからないというのがあった。作品としては面白いし、コンセプトもありそうだから、単純にそれを知りたかったよね。そうすれば、そこから出てきた人たちの意味もわかる。むしろブラクストンのことがわからないと、今起きてることがわからないと思った。僕ね、すごいものは感じればわかるみたいなのがあまり好きじゃなくて。
細田:なるほど。
柳樂:フリー・ジャズは聴けばわかるってよく言うじゃないですか。それはそうなんだけど、テキストで言及するのであれば楽しみ方を説明したいんだよね。でも前衛的なものほどそういうテキストって少なくて。そういうことをやりたくてJTNCをやってる節はありますね。グラスパーだったらリズムのヒップホップっぽさにフォーカスしてみましょうとか、フライング・ロータスだったら生演奏の即興部分にフォーカスしてみましょう、カマシ・ワシントンの『Harmony of Difference』だったら対位法を用いた曲の作り方や構造にフォーカスしてみましょうみたいな。音楽自体のひとつの聴き方や楽しみ方を提示することをやりたい。フリー・ジャズ、まあブラクストンは一概にフリー・ジャズとも現代音楽とも言えないんだけど、世間では難解だと思われてる音楽に対しても、それができるならやりたいと思っているんですよ。で、ブラクストンに関してはそれがいける気がした。たぶんペーター・ブロッツマンだと難しいじゃん?
細田:たしかに(笑)。まあ、たとえばバリトン・サックス奏者の吉田隆一さんあたりに、奏法分析という視点から聴き方を提示していただくことはできるかもしれませんが。
柳樂:それはありかもね。
細田:わからないと思われている音楽に関して、「聴けばわかる」とか「わからないからいい」で片づけてしまうと、権威主義的になる危険性がありますよね。フリー・ジャズの評論でたまに見かけるのが、「凄いミュージシャンが出演しているから凄いライブである」という同語反復的な称賛の仕方で、それって部外者にしてみればなぜ凄いのかわからない。その結果としてわかる人だけが集まる小さなサークルで楽しむものになっていく。
柳樂:聴きどころを提示できないとジャンル自体が痩せ細っていくよね。もちろん説明しようがない音楽もあるけど、ブラクストンは理論的な背景をテキストで説明して聴きどころを提示できそうな音楽だと思ったんですよ。
細田:たとえばブラクストンがサックスの演奏方法を12種類に分けて、それらを組み合わせて即興するということを知ってから聴くと、「あ、今3番目の奏法をやってるな」ということはわかるわけですよね。とはいえ、結局はわからないところもたくさんある(笑)。
柳樂:もちろん音楽って最終的には言語化するのが非常に難しいものではあるよね。ただ、たとえばJTNCの5号ではサックスの特集をやったんだけど、サックス奏者って何が凄いのか意外とわからないじゃない? 五線譜を使えばもちろんコルトレーンとロリンズの違いについて説明できるだろうけど、演者目線の専門的な用語を極力使わずに、聴き手の目線を大事にしながら、そういった違いを言語化しようとしたんですよね。それと同じようなことを、抽象的に聴こえるような音楽の構造についてやってもらったのが、今回、細田くんが書いたブラクストンの記事だったんじゃないかな。
細田:今回はブラクストンがどんな手法を用いていてどんな目的があって何を教えているのかといったことはわかったので、ある程度までは読者を連れていける記事になったとは思うんですが、やっぱり謎は残る。でも謎が残ることは必要だと思うんです。JTNCってプレイヤーとリスナーのあいだを読者層に想定した本じゃないですか。けれども多くの場合プレイヤーとリスナーではテキストを読む目的が異なりますよね。そう考えると、プレイヤーにとって有用なプラグマティックな目的に添いつつ、最後の最後に謎を残すことで、リスナーにとっても読み物として楽しめるような余白が生まれる。つまり最終的に謎を残すことが、プレイヤーとリスナーの中間をいく音楽評論のあり方として重要なんじゃないかと思うんです。
■ニーゼロ年代の音楽批評に向けて
柳樂:たとえば今だったらAbletonに突っ込んでリズム解析して数値化した方が新しい音楽批評とも言えるよね。これは自分の好みの問題でもあるんだけど、それにはあまり興味がわかないんですよ。音楽って意味がわからないものの方がいいと思っているから。最近だとカッサ・オーヴァーオールみたいなね。ライブ観てレビューも書いたんだけど、カッサはドラムとパーカッションと歌とキーボードを全部やっていて、しかも自分で作ったビートも流す。どこにも軸足のない音楽みたいで、本当はオシャレなヒップホップもできるはずなのに、そうじゃない作品を作っていて、意味わからないじゃん? でも「意味がわからなくていいね」で終わりにするんじゃなくて、意味がわからないからこそ、その意味のわからなさについて考えたい。だから興味がわくよね。
細田:それは先ほどの聴きどころを提示するという話でもありますよね。今回ネイト・ウーリーにインタビューして印象に残ったのが、これは誌面には載せられなかったのですが、彼が運営する『Sound American』誌についての発言でした。いわゆるアメリカ実験音楽は難解だと思われているけれども、彼にとってはとても楽しいものだと。しかしアメリカ実験音楽を擁護する論者はときにドゥルーズを援用してエリート主義の壁を構築しながら、聴こうとしない人々を批判してきた。そうした状況をネイトは「あたかも家の周りに壁を作って『誰も来ないじゃないか!』と不満を言うようなものだ」と言っていて、シンプルで日常的な言葉でそういった音楽への情熱を共有したかったと。
柳樂:やっぱり新しい言葉を作らないとダメなんだよね。それは造語を作るとかいう話じゃなくて、その音楽を語るためのフォーマットを生み出すということね。そうすると難解な音楽でも語りやすくてカジュアルなものになっていく。それも音楽評論の役割だと思うんだよね。もちろんレッテルが貼られてしまう危険性もあるけど、たとえば渋谷陽一とか中村とうようとか、田中宗一郎とかはそういう役割を担ってきたと思うんですよ。新しい言葉で新しい音楽を語ることで、リスナーが音楽を言葉にするための方法を提示するというか。JTNCはそういうことも意識していて。今やファッション誌でジャズ特集を組んだとしても、音楽専門じゃないライターがちょっと調べればグラスパーやカマシについて簡単に書ける環境があると思う。フリー・ジャズについてもそういう言葉が作れれば状況が変わるような気がするね。
細田:フリー・ジャズの評論の場合、語るための言葉として難解な人文書のような言い回しを提供してきましたからね。とはいえメジャーな音楽とやや事情が異なるのは、とりわけまだインターネットがない時代には、情報を供給するという点だけでも価値があったということです。かつてフリー・ジャズ周辺の情報を知るためには間章や清水俊彦の文章を読まなければならなかった。逆に言うなら、新しい情報さえ提供すればどんな書き方でも許されたわけで、音楽評論の可能性に開かれていた時代だったとも言えます。今はむしろ、情報はいくらでもあるわけで、翻訳ソフトによって言語の壁もなくなりつつありますし、つねに何らかの視点を提示しなければ意味がない。
柳樂:僕の場合はぜんぜん違うルートから聴き方を提案する方法をつねに探していますね。フュージョンだったらフュージョン自体のイメージが変わっていくような方法。あるミュージシャンの価値をちゃんと転換するためにいろんな接点を探しているから、今だったらUKジャズの若手のシャバカ・ハッチングスからUKフリージャズの大ベテランのエヴァン・パーカーにつながったり、そういう形でフリー・ジャズが出てくることに関心があるね。
細田:新しい語り口というのは、単に文体だけの話ではなくて視点の話でもあるわけですよね。たとえば間章的なものから逃れようとして、妙に砕けた文体で、とにかくわかりやすいことを強調して敷居を下げようとする言説もあります。ただ、視点がないと敷居が下がっても聴きどころがわからない。視点を得るためには、ある音楽を継続的に追いかける必要があると思うんです。
柳樂:そうだね。たとえば他のジャンルでJTNCみたいなことをやろうとしても、特定の音楽ジャンルを何とかするために作ろうとしたら難しいと思うんだよね。面白いものを追っていたら、最終的にたまたまたどり着くものであって。いろいろ出てきた音楽を最終的にどうパッケージングするかって話ならいいんだけど、ジャンルありきで出発するのは違うじゃないですか。無理が出てきて、足りない文脈を埋めるために変なことを書いたりしてしまうかもしれない。だから、ジャンルを持ち上げるためのディスクガイド的な発想でやってもJTNCのようにはならないんだよね。いろんなものを聴いていくなかで、出てきたものを自分なりの文脈と言葉でまとめていくうちに生まれる気がするよね。僕はフリー・ジャズ凄い好きなんだけど、だからこそ意味のない取り上げ方はしたくない。意味が出て取り上げる必然性が出てきたらやりたいと思ってるんだよ。
細田:JTNCの作り方自体がそうですよね。取材したり音盤を聴いたりしていくうちにコンセプトが固まっていって、本としてまとまっていくわけで。自分は3年前に「即興音楽の新しい波」というタイトルの論考を書いたことがあるんですが、あれも即興音楽なるジャンルをどうにかしようとか考えたわけではなくて、水道橋のFTARRIというイベント・スペースに行き続けていたら見えてきたものがあって、それをまとめたテキストなんです。その意味ではJTNC的なアプローチだったなと感じています。
柳樂:たとえば若林恵さんが『NEXT GENERATION BANK 次世代銀行は世界をこう変える』を出したじゃないですか。あれも最初から金融の本を作る気だったわけじゃなかったと思うんだよ。WIREDの編集長やってて、スタートアップとかテック系の話を集めていった結果、今、語るべき需要なポイントとして辿り着いたのが金融だったんだと思う。で、お金と銀行って国家や行政につながるから、第二弾が『NEXT GENERATION GOVERNMENT 小さくて大きい政府のつくり方』になったんじゃないかな。そういう作り方が今の時代にふさわしい気がしていて。そういうふうに音楽を捉える人が増えてきたら、面白い本も増えてくるんじゃないかな。ジャンルのディスクガイドを作ることを出発点にするんじゃなくて、色々調べたり、人に話を聞いたり、自分で考えている中で最終的に一番いい容れ物が見つかったときに作られるような本が必要な気がするね。
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April 04, 2020 at 10:44AM
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柳樂光隆×細田成嗣『Jazz the New Chapter』対談 「誰がいつ出会っても価値のあるテキストにしたい」(リアルサウンド) - Yahoo!ニュース
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